こんにちは、うまけ~さんです。
このブログでは、自身の経験からギャンブル(パチンコ、競馬、カジノなど)についていろいろ語っていきたいと思います。
一度嵌るとやめられないギャンブルとどう付き合うか?どう楽しむか?ギャンブル依存症、パチンコ依存症で苦しんでいる方へ、少しでも依存症克服のヒントを提供できればと思っています。
パチンコ依存の始まり
はじめにお断りしておきます。
私もギャンブルが好きでしたし、今でも時々しています。
そんな私が、ここでギャンブルを批判する資格などないとおっしゃるのはごもっともです。
ただ、今まで「もうやめよう、もうやめよう。」と繰り返し繰り返し誓いながら、抜け出せなかった自分の姿をご覧いただいて、同じ悩みをお持ちの方に少しでも共鳴していただき、できるだけ早くその暗い状況から立ち直ってもらえればという思いから、敢えてここでギャンブルについて語っていこうと決意しました。

またここで、自身の過去をさらけ出すことで、未だ完全に抜けきっていない自身の病気を完全に治療出来ればとも考えております。
私がパチンコに出会ったのは、今から数十年前、大学の受験に失敗し、浪人生活を送ることとなった時です。

はじめは実家を離れ、一人でアパート暮らしができる事だけでとてもうきうきした毎日でした。その内予備校が終わって5時頃電車で帰りアパートでまた勉強するという生活に、段々と退屈さを覚え始めました。
ある日予備校の帰り道、友達に誘われるがままに、駅前にあるキラキラした電飾と賑やかな音のする店にフラフラっと入ったのがパチンコ屋でした。

全く知らなかった訳ではないので、時間つぶしにと思い打ち始めました。するとよくあるビギナーズラックですねぇ、2時間で4千円ほど勝ちました。
その当時の4千円は浪人にとって大きなお金です。

これはいい小遣い稼ぎになるなぁ。
暇つぶしと、一人暮らしの寂しさもまぎらわせるし、小遣いも増える。「こんな都合のいい遊びがあったのか」と新しい彼女でもできたかのように喜んでいました。
それからは、ほとんど毎日のように予備校帰りにパチンコ屋に寄るのが日課のようになりました。浪人生で仕送りをしてもらってる身の上ですから、毎月の小遣いも1~2万円ていどです。
このころはまだ、その小遣いの範囲内で遊んでました。もちろんいつも勝てるわけありません、月の初め頃になくなれば後は仕方なくアパートへ帰ってました。
大学生にはなったが
それから、そんな私でも無事大学へ行ける事となり、いちよう学園生活の始まりです。しかし、大学へ入学することだけが最大の目標だったため、いざ大学生となっても何もする気が起こりませんでした

そこからは、ご想像のとうりパチンコ生活が続くのです。丁度この頃、「ゼロタイガー」という羽物が出始め、その後フィーバーの「ブラボー」や一発台に夢中になりました。
こうなると仕送りだけでは到底遊べません。
アルバイトを始めます。昼間はバイト、夕方からはパチンコの繰り返しです。学校など行きません。
その内夜勤で警備のアルバイトをするようになり、お昼からバイト時間までベッタリパチンコをするようになりました。
当初は仕送りやアルバイト代がなくなると、パチンコも我慢できましたが、その内お金がなくてもどうしても打ちたいという欲求が勝ってしまいます。

そこで見つけたのが「学生ローン」です。

学生ローンと言っても所詮町金です。当時は大学周辺に
たくさんありました。
学生は保証人が親ですから、比較的簡単に借り入れできました。サラ金業者にすれば取りっぱぐれのない、いいお客さんです。
はじめは、2~3万円程度でしたので、すぐに返せると気楽に考えていましたが、そのうち金額も大きくなり、複数のサラ金業者を転々とするようになり、いつのまにか総額100万円くらいの借金になりました。

この間パチンコに負けるたびに、もうやめよう、明日から絶対行かない。と何度繰り返したことか。情けない自分を何度も何度も責めていました。
いちよう会社員
このままでは、到底生活できなくなると思い、大学を辞め就職する決断をしました。
当時はバブルの真っただ中で日本全体に景気もよく、私の給料もそこそこありました。就職してしばらく(半年くらい)はパチンコと遠ざかることができました。
しかし、仕事にも慣れ、少なくなったサラ金の借金に油断が芽生えたのです。
会社が終わると再びパチンコに通うようになりました。さらに悪いことに、会社の付き合いでお酒を飲むことを覚えフラフラと飲み歩くようになりました。
その時の給料では、パチンコと飲み代をカバーできません。再びサラ金に走りました。支払いが間に合わない時は何度も両親に泣きついていました。

そんな生活が長く続くわけがありません。最後には会社を辞め実家へと帰ることとなりました。その時残った借金はすべて両親に助けてもらいました。
振り返ってもなんて情けない人間なんだと思います。
実家へ強制送還
実家に帰ってからは、2年程パチンコもお酒も遠ざかっていました。
しかし、少し心にも経済的にも余裕ができると、またまた虫がさわぎ始めます。
このころから、パチンコだけでなく競馬にも手を出し始めました。どちらかといううと競馬の方が面白くなっていました。

実家に帰る時あれだけ二度とパチンコはしない、両親に迷惑は
掛けたくないと誓ったのに、あなたの意志の弱さにはほとほと呆れる。

さらに、アホなことにキャバクラの楽しさに目覚めたのです。

しばらくそんな自堕落な生活を送ってましたが、長く続くはずはありません。
またまた借金地獄。
程なく家族会議が開かれ、借金はなんとか返済できたものの、信用も財産もすべて失いました。
さすがにそれからは、パチンコと飲み屋通いは何とか止めることはできております。

内緒ですが、たまに競馬だけは少しだけやらせてもらってます。
まとめ
パチンコ漬けの数年間で失ったものは大きいです。
- お金
- 信用
- 人
- 時間
結局残ったのは、借金と衰えた体だけです
人生で一番大事な20代30代の時間の大半をパチンコに費やしていた自分を今から悔やんでもとうてい悔みきれませんが、今パチンコを打っている若いあなたならまだ間に合います。私のようにならないでください。お金もですが、
失った時間はもう戻りませんよ。
今回は、私の生い立ちを交えてギャンブルについて語ってみましたが、次回も引き続き恥をさらしながら、ギャンブルを批判的に語ってまいります。
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